「からせんじゅ」の開発担当者にインタビューしたお話
2022.04.07
戦後の「食品三大発明」とされるカニカマを生み出した当時の開発担当者が、清田稔さん。
その清田さんが、生み出した商品は多くあります。
清田さんは、カニカマをはじめとする練り物製品から珍味まで時代に合った商品を作り続けてきました。
そして清田さんがカニカマよりも先に開発した商品が杉野屋与作の「からせんじゅ」
「からせんじゅ」詳細はこちらから
約60年も愛されるロングセラー商品となっています。
今回は「からせんじゅ」の開発された当時について清田さんにインタビューしたお話しをお届けします!
Q1.「からせんじゅ」を開発するきっかけはなんですか?
A1.当時七尾では、鮫が沢山水揚げされていた。当初は捨てられていた鮫の卵を有効活用し、魚卵加工品を作ってくれないかと先代の杉野芳人会長に依頼されたのできっかけで開発を始めました。
開発から数年後からせんじゅの原料である、鮫が七尾で水揚げされなくなりました。
その為、これまでの価格での商品提供が困難になり、改良を要しました。
その後も幾度と原料の枯渇に悩まされ、その都度改良を重ねました。
A3.商品ができても、次々と研究開発する商品が山積みになっているから達成感に浸っている暇はなかったです。
でも今振り返ると、とてもやりがいがある仕事に携わる事できてよかったと思います。
そして長年記録されていた開発ノートをみせていただきました。

どのように改良したのか、調合の割合など温度帯などまで詳細に綺麗に記録されていました。
弊社の商品開発の歴史が詰まった、貴重な資料です。
「からせんじゅのレシピ」も何年何月にどの割合で改良していったのか手書きの表にして記録されていました。
清田さんはインタビューの中で、
「からせんじゅがここまで長くつづき人気のある商品になると思わなかった」
「からせんじゅの記録を読むと当時、何度も改良を重ねながらがむしゃらに開発していたことを思い出す」
「あの頃は、本当によかった」
と話して下さりました。
当時、からせんじゅを作る際には、砂を混ぜた乾燥剤と薪を使って温風乾燥させていました。
労働時間や環境は今よりも、決していいものではありませんでしたが、
商品を開発して60年もたっても、「からせんじゅ」や「カニカマ」「オードブル」など,
様々の商品が多くのお客様に愛されるていることが、
苦労した話よりも「よかった」という言葉が出てくるのだと思います。
今では成分の分析など簡単にできるようになっていますが、清田さんが開発している当時はそのような機械や技術はありませんでした。
現在の開発担当者も「あの時代に感覚的に、ここまでの商品開発できていたのは天才だ」と口をそろえます。
現在の商品開発では「分析」と「思考錯誤」を繰り返しながら行っていますが、
技術の進歩により計算や分析の正確性や効率は格段に上がっています。
清田さんが開発していた当時は割合などは電卓で一つ一つ計算し、記録。
そして試作、改良を繰り返していました。
計算や分析技術がないなかで数百点にまで及ぶヒット商品は、
清田さんの「開発の天才」でもあり、確かな「努力」を積み上げたことを証明していると思います。
そしてこれらからも杉野屋与作は、その商品開発力を受け継ぎ時代と共に「進化」を続けながらも、
確かな職人技で「能登の美味しい」を届けていきたいと思います!
「うまし能登、これ口福なり。」
能登の美味しいで、皆様を幸せをお届けしたい。
そんな思いで今日も一日頑張っていこうと強く思いました。
以上スギヨのレジェンド清田さんに聞いた「からせんじゅ」の開発エピソードでした